道に迷うなら一人がよい

  • 2017/09/09 11:09
  • Category: 雑記
この前、アートフェスティバルに行こうとしてGPSに遊ばれた、
と書いたが、そもそもケベックの住所はGPSに入れづらいのである。
その昔、カソリックの影響がたいそう強かったおかげで
町の名にも通りの名にも、やたら Saint(Sainte)の付くものが多い。
で、これをGPSに入れようとすると、“Saint”とフルに綴るか
“St”と略すか、次の語との間にハイフンが付くか付かないか
ついでに次の語(名)が女性名詞なら“Sainte”と、
語尾に“e”をつけねばならないし、そうなると省略形も“Ste”で・・・
と、もう考えるだに面倒くさい。

でアートフェスティバルの会場も、その難儀な“Ste”付きの村で
しかも通りの名も Ste 付き。ダブルパンチである。
ためにいくらGPSの指示通り、地番、街路名、村名と入れて検索しても
出てくる答えは「該当なし」ばかり。
いつまでたっても、目的地設定ができない。

それでも家の車庫前でGPSと格闘していたのだったら、
家にとって返して地図を持ってくれば済んだのだが
生憎その時は出先からアートフェスティバルに行こうとしていたので
手元には地図もなーんにもない。
あるのは会場の住所を書いた自筆のメモだけ。

仕方がないので、フルに綴ったり、略して綴ったり、ハイフン付けたり、取ったり、
日英仏ごちゃまぜで罵り言葉を吐きながら
すべての可能な組み合わせを順番に試し、ああだこうだと20分近く頑張ってみたのだが
GPSのお答えは常に「該当なし」
ほとほとうんざりし、もう諦めて帰ろうかと思ったが、
せっかくその気になって出てきたのに途中で諦めるのも癪なので
近くのドラッグストアからウチに電話し、雪だるまに
会場近くで、St/Ste の付いていない通りはないかと聞き
その通りの名をGPSに入れて(この時は一発で入った。いえい!)出発した。

が、結果はこの前書いた通り、到着したのは何にもない山の中。
いや正確には、私が走ってきた当の道があるし、その両側には
木々の生い茂った山があるので、「何にもない」わけではないのだが、
どう考えても、こんな鬱蒼とした山の中でフェスティバルをやっているはずはない。
しかも道端の標識には「××村 〇km」と、目的地の村よりずっと先にあるはずの村の名が
記されている。つまりこの先ずっと走っても、目的地には着かないということである。

これはもう人に聞くしかないと、私は走ってきた道を何キロか戻って人家を探し、
運よく、ちょうど庭先で花の手入れをしている人を見つけたので
車を止めて「こんにちは」と近寄り、アートフェスティバルに行きたいのだが
道に迷ってしまったというと、その人は仕事の手を休め
はっきりかつゆっくりしたフランス語で、親切に会場への行き方を教えてくれた。

幸い田舎のこととて道はだいたい一本道。
その一本道と交差する道もたまーにあるだけというわかりやすさなので
教えられたコンビニやレストランを目印に右折、左折したら
ちゃんと会場に着いた。そのまま取って返して道を教えてくれたおじさんに
お礼を言おうかと思ったくらいうれしかった。

で、この時思ったのだが、道に迷うなら一人で迷うに限る。
一人なら車の中で好き勝手に悪態をつきながら
自分の判断であっち行ったり、こっち行ったりできる。
同じところをぐるぐる回る羽目になっても、自分自身に「ばーか」
と言っていれば済む。気楽である。
しかし同乗者がいる場合は、そうはいかない。
うろうろと道に迷って同乗者に心配をかけるのは気の毒だし
戻るか進むか、右か左かなどの判断には、その人の意見もきかねばならない。
あげく余計に迷ったりしたら、こちらもあちらも気ぶっせい。
なかなかに気骨が折れる。一人なら、そんな気遣いは全く要らない。
お気楽、らんらん。

そしてもうひとつ気付いたのは、田舎で道に迷うなら車、
都会で道に迷うなら徒歩がよいということ。
理由はまた次回。

リハビリ

  • 2017/09/07 10:19
  • Category: 雑記
あれやこれやで1か月近くブログを放置してしまい
おかげで日本語の書き方をすっかり忘れてしまった。

しかし文章を書くことのできる唯一の言語を失うわけにはいかないので
リハビリ開始。
呆れるほどたどたどしい文章で、文の繋がりがおかしくても、
慣用句が出てこなくても、“てにをは”がへんちくりんでも、とにかく書かねば。

8月半ば、近くの村で開かれた美術展というかセミプロ画家作品展というか、
まあアートフェスティバルみたいなものに出かけた。
今年で15回目だというこの催しは“Rendez-vous des peintres”という名で
鄙びた村のメインストリートに沿って設置された50以上の小さなテントに
各画家が自作を並べ、ついでに画家本人もいて、
訪れた人々と談笑し、欲しい人がいれば作品を売り、
というようなのんびりとしたものだ。

出かけた理由は、ここに来た当初から話に聞いていたこの催しが
どんなものだか見てみたかったのがひとつ。
もうひとつは、うちに日本語会話の練習に来ていたV君の母上が
去年に引き続き出展されるというので、これはご挨拶にいかねば、と
思い立ったのである。

で、ある土曜日ひとりで車で出かけたのだが、
途中GPSに遊ばれて、何にもない山の中に連れて行かれたりしたものの
最終的には何とか会場にたどり着いて、無事地元画家諸兄姉の作品を
鑑賞することができた。

何しろ半分お祭りみたいなものなので、正直なところ作品そのものには
面白いものは少なかったが、夏の午後、メインストリートとはいえ
レストランやカフェなどの店舗は数えるほど、
ほとんどは思い思いの花々が咲き乱れる普通の住宅の庭先で、
その後ろに目をやれば、遠景は緑に霞む山。
牛でも「もぉー」と鳴きそうな風景の中、のんびり歩きながら絵を見て歩くのは、
けっこう楽しかった。

それに、ぶらぶら歩きながら探し当てたV君の母上のテントには
ひまわりの花のようにあでやかなV君の母上がいらして、満面の笑み。
しかもその作品は、去年までの作品とはがらり表現法が変わり
以前よりずっと面白くなっていて、お世辞でなく心から「面白い」「好きだ」
と言えて本当にうれしかった。

いつから変わったのか、はっきりとは伺わなかったが
去年の夏に作品を見せていただいた時は、風景画にしろ静物にしろ
ごく普通の油絵としか言いようのない、これと言って特徴のない作風で
可もなく不可もなく(失礼!)といった感じだったから
変わられたのはそれ以降だろうと思うが、今の、黒い細い線で囲まれた
横長の長方形を積み上げて色と形を描いていく表現法は
リズミカルで、踊るような光の燦爛が感じられて、
見ていてなんだかとても楽しい気分になった。

作品の中のひとつ、草原で牛が遊んでいる作品は特に気に入って
「これはいいですねえ」と言ったら、それはモントリオールの美術展で
入賞した作品だそうで、なるほどと納得。
一応値段を聞いてみたが、私に手が出る額ではなかった。
誠に残念。
もっとも、たとえ買えたとしても、うちには掛けられる場所がないのだけれど。

それにしても、V君の母上は私と同い年。
絵で食べているわけではないから、職業画家というわけではないのだけれど
それでも日々描き続け、表現法を考え、新しいことを試し、
試行錯誤して成長していけるのだと知って、
正直、目から鱗の思いだった。
私は今まで傲岸不遜にも、絵にしろ他の芸術にしろ
素人の進歩/成長には限りがある、
ある程度までは伸びても、あとは同じことの繰り返しになる
と思っていたのだが、どうやらそれは間違いだったらしい。
これはなかなかうれしい発見である。

夏に毛布か?

どうも今年の夏はあまり暑くない。
6月に何日か25度を超える日があったので、「これは・・・」と楽しみにしていたのだが
その後、つつつと気温が下がって、あとは延々最高気温22、3度という“涼しい”日ばかり。
朝晩など11、2度まで下がることもざらで、窓を開けて寝ると寒くて目が覚める。
まったく、とても夏とは思えない。

そのせいかどうか、今年は畑の野菜の出来が今一つで、
トマトはなかなか赤くならないし、サヤエンドウは伸びも、実の付きも悪く
しかもまだ8月初めだというのに、すでに黄色く枯れ始めている。
ズッキーニはまあまあ実をつけているが、これもなかなか大きくならず
そのうち寒さで縮んでしまうのではないかと、こちらを心配させている。

花も同様で、ふだんだったら7月には盛りとなるマリゴールドが
今年は8月の今、やっと枝葉を広げ、花をつけて、鮮やかな黄色になった。
が、それも日向に植えたマリゴールドだけで、ちょっと日陰に植えてしまった方は
日照不足のせいか、あるいは今年は雨も多かったので、ナメクジにやられてしまったのか
葉っぱを食われて枝を伸ばすこともできず、爪楊枝のような茎に
ちょこんと小さい花がひとつだけ、という哀れな姿である。
元気なのは雨が大好きな青アジサイと芝生のみ。

天気予報をみると、今後とも25度を超える日はほとんどないようで
このまま秋になっていくのだとしたら、何ともさみしい今年の夏である。

予約が取れない 2

さて、続き。

毎日、毎日試しても電話では予約が取れないので、
「これはもう直接行くしかあるまい」と、予定通り木曜の朝8時前に
診療所に行き、入り口前に陣取った。
診療所が開くのは8時半なのだが、早めに行って順番待ちをしないと
近い日にちの予約が取れない、あるいは「今月はもう一杯です」くらいの
ことを言われて、来月回しにされてしまうのではないかと危ぶんだからである。

が、そうして朝もはよから並んだにも関わらず、
実際に診療所が開いて、当人のL君ともども受付で、
「家庭医はいないが、診てもらいたい」と申し込むと、
「電話予約なし、家庭医なしの人は診ない」とけんもほろろ。
だから、その電話予約が取れないからこうして直接出向いたのだと言っても
とにかく通常、この診療所に家庭医のいない人は診られない、とのことで
ただし来週の木、金なら家庭医のいない人でも診る。
電話で予約を取って下さいと日にちを書いたメモをくれ、
ついで、あるいは隣町の病院でもよければ、
この番号に電話すれば予約が取れる可能性がある
と別の小さいチラシをくれた。

くれはしたが、とどのつまり、どちらも電話による予約が必要ということは
つまり元の木阿弥、振り出しに戻って、電話でピッポッパを再開ということである。
その埒の明かなさはすでに十分経験済みだったので
他を試そうと、まだ朝が早いのを幸い、前日お散歩マダムの一人が
「あそこなら家庭医なしでもだいじょうぶ」と紹介してくれた
病院横の診療所に行ってみることにした。
が、ここでも「予約なし、家庭医なしの人は診ない」と、
冒頭の診療所同様のつめたーいお返事。
どうやらマダムの情報は古かったらしい。

まったくこれでは家庭医のいない病人は、座して症状悪化を待ち
救急で病院に担ぎ込まれるしか、診療してもらえる見込みはないかのようである。
あるいは私費のクリニックに行くか。

事実、先日会った雪だるまの親戚の一人も、生粋のケベッコワーズだが
別の街から今の街へ昨年引っ越してきたばかりなので家庭医がいない。
家庭医を頼みたくても、どの医師も手いっぱいで
新規の患者は受け付けてくれない、と嘆いていた。
しかも、知り合いに聞いても同様の状況の人は珍しくないそうで、
だから彼女の近所では、私費の(日本でいうなら自由診療の)
クリニックに行く人が多いそうである。
彼女が住んでいる街は、生活に比較的余裕のある人たちが多い区域だから
それでもよいが、一般的に私費のクリニックは年会費(約400~600ドル)
が必要なうえ、1回の診療に100ドル前後かかる。
普通の人が気軽に払えるような金額ではない。

となれば、仕方ない。
いつ予約が取れるかわからないが、また電話でピッポッパを再開である。
うちの町の診療所は前日の午後6時から、
隣町の病院は当日の朝4時45分(!)から電話受付開始ということで
「朝5時前に受付開始って、どういうことよ?」と思いつつも
土曜の朝、寝ぼけ眼でまず隣町の病院から試してみると、
これがなんと空きがあると言う!
私は自分の耳が信じられなくて、録音を2、3度繰り返して聞いてしまった。
そして急ぎメールでL君に連絡すると、まだ寝ていなかったL君から
折り返し電話が来て、その日の昼、一緒に隣町の病院へ行くべく約束した。

そして無事、医師に診察してもらえたのだが、
色々と検査をしてみないことには診断は下せないということで
その日は診察と採血だけでおしまい。
一応鈍痛があることを訴えたのだが、鎮痛剤の処方もなし。
L君は診てもらえてほっとしたようだし、こちらもまあ少し安心したが
どこが悪いのかはいまだわからず、今はただ腹部の超音波検査と
胃カメラによる検査の日程連絡を待つ日々である。

L君からは早速翌日の夜に「病院から連絡は来た?」と問い合わせがあったが
なんの、なんの。この辺の病院の諸検査日程は常にぎっしり詰まっており
実際に検査を受けられるのは、早くても医師による申し込みから1、2週間後。
検査によっては3、4週間待ちもざらである。

L君は「中国なら、朝行って検査して、午後には結果がわかるのに・・・」と言うが
ここはケベックなのだ。診察も検査も手術も、患者が病院で直接費用を払う
必要はない代わり、順番待ちの時間は長い。
米国みたいに基本的に自力更生、一部を除き国による保険制度はなくて
いったん重い病気に罹ったら、高額の医療費に破産もあり得るなんてのも困るが
順番待ちしている間に死んでしまうのも困る。
日本のように、一部自己負担付き皆保険制度というのは悪くない制度だと思うが
それにも問題がないわけではないし、どの制度も一長一短、
どれがいいというわけでもないのだろうか。
ただ自分が何の病気かわからず、じっと待たねばならないのは辛い。

予約が取れない

4、5日前から知り合いのために診療所の予約を取ろうとしているのだが
これが掛けても掛けても「誠に申し訳ありませんが・・・」で始まる
予約一杯の録音テープが流れるばかりで(しかもイニシャルだの姓名だの
医療カードの番号だの色々な情報をさんざん入力させた後で、これが流れるのだ。
んなら、最初から“明日はいっぱいです”と言え!、と言いたくなる)、
「×日×時に空きがあります」という応答は全く出てこない。
一昨日からはその録音テープすら流れなくなり
「予約依頼の電話が非常に多く混雑を極めていますので
××のサイトへ行って、近隣で空きのある診療所をお探しください」
になってしまった。

なので一応サイトに行って、「空きがあったら連絡してくれ」と
こちらのメルアドを残しておいたのだが、
そうしたら翌日私たちがジムに行って留守の間に
「本日午前11時10分から12時10分の間に、あなたの住所から20㎞以内の
診療所に空きがあります。このメールは他の17人の人にも送られていますので
診療をご希望の場合は、急ぎご連絡ください」というメールが入っていた。
同メールを見た時にはすでにその“空き時間”とやらを過ぎていたし
第一、その診療希望の当人はその日仕事に出ており
そんな2時間前に急に言われたって、「すみません、ちょっと病院いってきます」と
職場を抜け出すわけにはいかないのだ。というわけで、没。
翌日また電話でピッポッパに戻ったが
予約はいまだに取れていない。

まったく、いつものことながらケベックの医療制度における
診療予約の難しさには、ほとほどうんざりさせられる。
たとえ家庭医がいても、予約が取れるまで2、3日待つことはざらだし
上記の診療希望者のように家庭医がいないとなると
予約を取るのは実に至難で、電話ではほとんど不可能なんじゃないかと
思いたくなるくらいである。(今日で5日連続空きなし)

もちろん直接診療所に行って待つ、という手はあり
今日もだめなら、明日は当人の週一の休みに当たるので
二人で早朝から並んで、なんとか潜り込ませてもらうべく
努力してみるつもりではいる。
直接行ったからといって予約が取れるとは限らないのだが
試してみないわけにはいかない。
何しろ当人、ここずっと腰痛とか脚のむくみとか種々の症状に悩まされており
何か深刻な病気なのではないかと、毎日びくびくしているというのだ。

というのも、彼の母親が2年前に肝臓がんで亡くなっており
その彼女が生前訴えていた症状と、今の彼の症状がよく似ているので
ついつい「もしや?」と考えてしまうらしいのだが、彼はまだ20代半ば。
肝臓がんである可能性はそう高くないと思うので
そんなにむやみに心配するなと言っているのだが
ずっと母一人子一人で育ち、その母に逝かれてしまって
その後結婚はしたものの、奥さんはまだカナダのビザが取れず
中国に残ったまま。
母の夫だったN氏(ケベッコワ)の家に同居してはいるが
N氏は中国語がわからず、彼のフランス語はまだまだなので、
意思疎通はあまりうまくいっていない。
そんなこんなで、頼ったり相談したりできる人が身近にいない上に
体調が悪くなってきたので、よけい心細さが増しているのだろうが
痩せても枯れても中国男児、男子漢、
「一人で病院に行くのは不安だから一緒に行って」なんて
小学生じゃあるまいし、もちっとしっかりせえよ、と言いたくなるのだが
生前の母君から「息子をよろしく」と頼まれているので
突き放して「ひとりで行け!」と言うわけにもいかない。

というわけで、明日は一緒に行く。
上手く予約が取れるといいのだが。

布地屋さん

クロスステッチにしろハーダンガーにしろ、
刺繍したものを小物に仕立てる時には裏地が必要で
しばらく前から様々なオンラインストアを覗き歩いていたのだが
なかなか気に入った布がない。

服の裏地ではないから、すべりのいい無地である必要はまったくなく
むしろ綿か綿混紡の面白いプリントの生地、
表地とは対照的な色柄の、インパクトのある生地がいいなあ、と思って
あちこち見て歩くのだが、どれも今ひとつ。
なかなか私好みのポップな生地は見つからない。

大部分が服地かカーテンなどの室内装飾用、あるいはキルト用なのだし
マスマーケットを対象にしている以上、売れ筋ばかりの無難な品揃えになるのは
致し方ないところだとしても、どこを見ても同じような退屈な生地ばかりで
妥協してさえ欲しいと思える生地がないのにはまいった。
そしてネットの上で時々見かける楽しい生地は、
みな一体どこで手に入れているのだろう?
大きな街の大きな布地屋さんとか、デザイナーズショップとかに行かないと
ないのかなあ、と諦めかけていたのだが
ある日ふと“best online fabric stores”か何かで検索したら
「このサイトの利用には注意が必要。見始めるとハマって時間を忘れます」
みたいな注意書きをされたサイトがあって、「なんだこれ?」と行ってみたら
思わず「うおお!」

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はなから私好みのちょっと変なプリントが目白押しで
それだけでも狂喜乱舞の大興奮なのに、
その上デザインの数が半端でない。
たとえば“sheep”で検索すると、全23ページ、
計1800以上のデザインが出てくるのだ。
中には同じデザインの色違い、あるいはモチーフのサイズが違うだけ、
というのもあるが、それにしても1000以上のデザインがあるのは凄い。
しかもみんなちゃんと“ひつじ”模様なのだ。

好みのデザインを探す検索語も詳細を極め、
たとえば動物だったら、森の動物、家畜、ペット、海の動物等々に枝分かれし
そこからまた熊、鹿、狐、リスなど個々の動物に枝分かれしていく。
この検索語がまた楽しくて、たとえば Style → Histrical で絞り込んでいくと
中世、ゴシック、ロココ、ヴィクトリアン、アールヌーヴォーからアールデコ、
50~60年代モダン、ついでにスティームパンクまであって、
それぞれそれっぽいデザインが次から次へと出てくるので
見ていてほんとに厭きない。

国別もあって、Japaneseで検索すると、正統和風柄から中国、日本がごっちゃになった
キッチュな柄まで、これまた呆れるほどたくさんのデザインが繰り出される。
古い日本のマッチ柄なんて、他では絶対お目にかかれないデザインである。


  これ

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懐かしのぬりえ柄もあった

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もっとも、フランス風のシックなデザインを期待して“French”をクリックし、
出てきたのが“フレンチ”ブルドッグとか、“フレンチ”フライをフューチャーした
ポップなデザインだった時には、「あれま・・・」と思わず吹き出してしまったが。

たしかに“フレンチ”ではあるのだが・・・

frenchfry.png


このショップ、こんなにデザインが多いのは、個人が自分がデザインした柄をアップロードし
それを布地や壁紙、ラッピングペーパーにすることができるためらしい。
そのためのデザインツールも、サイトに完備されている。
詳しく読んでいないのではっきりとは言えないが、
布地その他はオンデマンドでプリントするシステムのようで、
客はデザインを選び、布地(綿、麻、ライクラ、フリースなど20種類近くある)を選び
大きさ(5インチ角のテスト用、ファットクォーター、あるいはヤード単位)を選んで注文する。
値段はデザインに関係なく、布地の種類によって決まる。
最も基本的な綿生地なら、1ヤードUSD17.50である。
この値段が安いか高いかは、それで何を作るのか
あるいはそのデザインにどの程度惚れこんでいるのかによると思う。

何にしても「ハマって時間を忘れるので注意」の警告は正しかった。
私はこのサイトを発見して以来、ずっとサイトを開きっぱなし。
暇を見てはサイトに飛んで、あれこれのデザインを眺めては
「きゃー」だの「かっわいー」だのの嘆声を発して、ハートマークを増やしている。

そして眺めているだけではつまらないので、
先日ちょうどファットクォーター半額セールだったのを幸い、
6デザインばかり注文してみた。
うち1枚はこれで、ぜひこれをこのまま使って、
ごくシンプルなトートバッグを作りたいと思っているのだが
うーん、うまくいくかなあ。
私、ミシン下手なんだよなあ。


真剣に読書している動物たちがかわいい

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Canning

ここに来た翌年の春、叔父さんが持ってきてくれた4株のルバーブは
年ごとに大きくなり、5年目を迎えた今年は、1回の収穫量が2㎏を超えるようになった。
こうなると、ジャムにした後ふつうにタッパーに入れておいたのでは
いくら冷蔵保存しても、カビが生える前に食べきるのは難しい。
ことに私はルバーブの酸味が十分残っている甘くないジャムが好きで
ルバーブの重量の1/3弱の砂糖しか入れないので、なおさらである。

で今年は思い立って、canning というのをやってみることにした。
canning を辞書で引くと、「缶詰化」とか「缶詰製造」となっているが
もちろん家庭でブリキの缶を使った缶詰なぞが製造できるはずもなく、
(できるものならやってみたい気はするが)使うのは缶ではなく瓶。
幸いうちには、叔母さんたちが手製のジャムやピクルスを入れてくれた
メイソンジャー(金属製の蓋付きのガラス瓶)がいくつかある。
ほんとは返さなくてはいけないのだが、その後会う機会がなくて返しそびれているもので
まずはこれを使って試してみようと、さっそくネットで検索するやら
YouTubeを見るやらして基本的なやり方を頭に入れ、一応その通りにやってみた。

ピクルスの場合は知らないが、ジャムの場合は以下のとおりである。
1. ガラス瓶と蓋を煮沸消毒する
2. 出来上がった熱いジャムを、その熱い瓶の中に入れる
3. 蓋をかぶせ、ねじ蓋を軽く締めて、瓶を湯の中に入れる
4. 湯の深さは、瓶が完全に隠れる程度。(蓋の上1インチ)
5. 煮立ってきたらタイマーをかけ、13分加熱
6. 瓶を取り出して、冷ます
7. 冷めるとともに、瓶の中から空気が抜ける“ぺこん”という音がすれば密封完了

ということなのであるが、ジャムを詰めた瓶を湯の中に戻す段になって
はたと困った。
うちには瓶が完全に隠れるほどの深さの鍋がないのである。
ことにその時は2㎏のジャムを煮るために、手持ちで一番大きい鍋を使ってしまっていたので
残っているのは瓶を3つ入れれば一杯になるくらいの片手鍋だけ。
これでは頭が出てしまうと思ったが、ないものは仕方がないので
温泉よろしく首までの湯の中にジャム瓶を入れ、
指定の時間、加熱してみた。
そしてその後、カウンターに置いて冷ましてみた。
するとしばーらくして、“ぺこん”という音がしたので、
どうやら首までの湯でもだいじょうぶらしいと了解。
なんだ、簡単じゃん、である。

こうなると面白くなって、その次は自分でメイソンジャーを買ってみた。
瓶はその辺のスーパーで普通に売っていて、
250ml、500ml、750mlと大きさはいろいろだが
どれも1ダース10ドル以下で買える。
1個1ドルもしないのに、落として割りでもしない限り何度でも使えるのだから
なかなかにお得である。

ついでに中古屋と蚤の市を探し回って、直径30㎝、深さ22㎝の大鍋も
10ドルで手に入れた。
この深さなら、瓶は完全に湯の中に沈むはずである。
で先日はこれらを使って瓶詰め作業に勤しんだのであるが
瓶が湯の中に完全に沈んでいると、普通のトングでは瓶がすべって
なかなか取り出せないことを発見。
あれこれ試しているうちに、ばしゃりと湯が腕に撥ねかかり
うっすらと火傷してしまった。
うっすらのくせに火傷はなかなかに痛くて、少し涙目。

おまけにそんなこんなで、お義父さん用に甘みを強くしたジャムが
1瓶あったのだが、それがどれだかわからなくなってしまい、
印をつけるつもりで忘れた自分の馬鹿さを呪うはめになった。
鍋の中では“これ”とわかっていたのだが、取り出す段のどさくさで、
ウチ用の砂糖1/3弱ジャムの瓶と、お義父さん用の砂糖1/2強ジャムの瓶が
完全に混ざってしまったのだ。
なにしろ1ダースまとめて買った瓶なので、姿かたちはどれも同じ。
中身のジャムにしたところで、砂糖の多寡で色が変わるわけでもなし
外からは区別がつかない。
と言って、せっかく密閉したのだから、開けて舐めてみるわけにもいかない。

仕方がないので、取り出した位置関係から見て、
お義父さん用である可能性が一番高い瓶のフタに「たぶんこれ」と書き、
その次に高い瓶のフタに「でもこれかも」と、日本語で書いておいた。
お義父さんにはまだ上げてないのだが、もし外れていたら取り換えるまで。
他に仕様はない。

というわけで、canning には、それ用のトングが必須と実感。
昨日ダラーストアに買いに行ったのだがなかったので
次回の買い物の際、ホームセンターあたりで探してみるつもりである。
中古屋にもあるかもしれないが、こういうものはしっかりした新品の方がよさそうだ。
蝶番の緩んだ古いのを買って瓶を取り落としたのでは、元も子もないし
もう一回やけどするのもいやである。
いくら熱つ湯好きの日本人でも、100度の熱湯を浴びるのは好みではない。


   メイソンジャーいろいろ

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   大鍋とトング

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広口の漏斗もあった方が便利

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図書館

  • 2017/07/02 10:29
  • Category:
ところで、私は最近、図書館に行くことを覚えた。
日本にいた頃は、学生時代も社会人になってからも、
それこそ毎日のように通い
(大学時代は学校からちょっと坂を下るとそこが図書館だったし、
就職してからも職場から図書館は大変近く、昼休みにひょいと行けた)
本屋同様、そこにいるだけで幸せだった図書館だが
外地に出てからは、図書館に行ったところで日本語の本があるわけではなし、
外国語の本では何しろ読むのに時間がかかるし、
語の意味など書き込みをしたりもするし、
そうなれば読みたい本は買って読むしかないので
香港では歩いて5分のところに図書館はあって、しょっちゅう前を通りはしたが
結局一度も中には入らず、ケベックに来てからも、うちから車で7~8分、
自転車で15分、歩くと45分(!)のところに図書館があるのは知っていたが、
過去5年間、一度も足を踏み入れたことはなかった。

が、今年になって、お散歩マダムの一人から
何、まだ図書館に行ったことがない? あそこには本だけでなく
雑誌やCD、DVDもあるし、絵画展などしょっちゅう何かのイベントもしている。
本を読むのは大変でも、雑誌なら見て楽しめるだろう。
ぜひ行け。免許証か保険カードがあれば、カードを作るのは簡単だ。
そうだ、月1くらいで映画の上映会もある。場所は・・・等々と熱心に勧められ、
そこまで言われては、義理と礼儀上、とりあえず1回くらいは行かずばなるまい。
行かずばなるまいがしかし、私に読める本、10日なり、2週間なりの貸出期間中に
読み上げて返せる本なんか、ありますかいな?
いくら簡単でも、子ども用の童話なんか読みたくないぞ、と
行かずばなるまいとは思いつつも二の足を踏んでいたのだが
ある日ふと思った。
そうだ、図書館には手芸本があるに違いない! 

私は最近ハーダンガー刺繍を始め、
特にそれにクロスステッチを組み合わせるのが面白くて、あれこれ試しているのだが、
いかんせん、なかなかよい参考書がない。
もちろんネット上にはうっとりするような作品の写真がたくさんあり、
刺してみたいと思うものもたくさんあるのだが、
たいていの場合チャートまでは載っていないので
ハーダンガー部分はともかく、クロスステッチ部分の色の識別に悩む。
片目で見ているので、似たような色が隣り合っていると
疲れるに従い、いくら拡大しても区別がつかなくなるのである。

が、本なら(ふつうは)チャートが載っている。色番号も載っている。
悩まなくて済む。
それに、小説ではフランス語がわからなくては話にならないが、
刺繍の本なら刺し方なんか全世界共通、
写真とチャートさえあれば、説明部分がわからなくてもぜーんぜん困らない!


で、ある天気のよい土曜日、自転車に乗って、いそいそ出かけた。
そして手芸本コーナーで、しばらく前から買おうかどうしようか迷っていた
クルーエル刺繍の本のフランス語版を見つけ、
ついでにハーダンガーの本も複数見つけて、
ほくほくしながら、そのうちの2冊を借りてきた。
係の人の説明によると、1人10冊まで借りられ、貸出期間は約1か月だそうだが
まさか一度にそんなにたくさんは要らない。

ついでに、その時はちょうど水彩画の展示をしており
それを描いたアーティストも会場に詰めていて、
長閑な土曜の昼下がりのこととて、絵の番をしながら編み物をしていらしたので
他に鑑賞者がいないのを幸い、彼女と1時間以上も絵や手芸の話をした。
当地には珍しく英語を話す人だったのである。
(フランス語だったら、「すばらしい作品ですね」「それはどうも」と
会話は20秒で終わり)

彼女とはその次に行った時も会ったが、
その時は他に熱心な鑑賞者がいたので、邪魔せず帰ってきた。

当町の図書館は、ざっと見たところ蔵書数はさほどではないが、
ソファが置かれた閲覧コーナーや、子供たち用のコーナー、
喫茶室などもあって、ゆったりと明るく、感じがいい。

以来、味をしめて10日に一遍くらい、自転車で出かけている。
この前は手芸本の他に『Maisons du Maroc』というモロッコの家、
庶民の家ではなく、ホテルや建築家の家など豪壮な邸宅ばかりを写した
写真集を借りてきた。
鮮やかな色彩と精緻な幾何学模様の連続、
圧倒されるほどの量の装飾がちりばめられた部屋部屋に目がくらみそうで、
よほど強靭な神経でなければ、こんな家には住んでおられまいと思ったが
旅先での一夜なら、あるいは数ある部屋の中のひとつだけなら
こんな装飾も面白いかもしれない。
なんだかちょっと、モロッコに行ってみたくなってきた。


装飾模様を見ていると目が回りそう

maroc 1


この光と色の氾濫の中で、くつろぐ?

maroc 2

『Le cas Sneijder』

  • 2017/06/24 03:54
  • Category:
私が今フランス語の本を読むのは、日常生活で使えそうな語彙と表現を
頭に入れるためで、だからその部分が豊かであるなら内容は二の次、
話が面白くても面白くなくても、興味のある主題でもそうでなくても
どうでもいいようなものだが、そこはそれ、生身の人間、
しかも私という、どちらかといえば好き嫌いの激しい人間が読むのであるから
やはり“何でもいい”というわけにはいかない。

どうせ手間暇かけて読むなら、興味を惹く内容で、話が面白く、
その上さらに使われている語彙や構文が、初級の私でも何とか付いていける程度なら
願ったり叶ったり。それ以上望むところはないのだが、
実際問題としてそういう本を探し当てるのは、なかなかに難しい。

長年読み慣れている日本語の本なら、たとえ読んだことのない作者の本であっても
その装丁や帯の惹句、パラパラと拾い読みした文章の感じなどから
好みの本かそうでないか、即座に判断できるのだが
フランス語の本では、そうはいかない。
(大御所は別として)馴染みのない作家名、イメージの湧かない出版社名の連続で
軽い本なのか重い本なのか、古典的なのか奇をてらった新しモノなのか、
鼻が、まったく利かない。

なので自然、信頼できる方のお薦めや、どこかで読んだ書評などの
獏とした情報を頼りに本を選ばざるを得ないのだが、
そうした中でたまに自分の好みにぴたり当てはまる本に出合えると、
文字通り欣喜雀躍。うれしさに、手の舞い足の踏む所を知らず、という感じになる。

実は今読んでいる Jean-Paul Dubois氏の『Le cas Sneijder』がそれで
今までは苦役だった2日に1回の音読が、近頃は“お楽しみ”に変わった。
もともとはこの本をベースにした映画『La nouvelle vie de Paul Sneijder』を見、
それが大変面白かったので、原作を読みたくなって注文したのだが
これが大当たりだった。

主人公のポールは60歳で、妻アンナの転職に伴って
トゥールーズからモントリオールに移住した。
支配的で野心的なキャリアウーマンであるアンナとの間はすでに冷え切り、
アンナのクローンのような双子の息子にとって彼はいないも同然の存在、
彼の唯一の愛情と関心の対象は、前妻との間に生まれた娘マリーだったのだが
そのマリーは、休暇でモントリオールに滞在中、彼と共にエレベーター事故に遭い、
亡くなってしまう。
同じエレベーターに乗り合わせた5人のうち、生き残ったのは彼だけで
小説はコーマから覚めた彼の独白で始まる。

正直に言って、この小説で使われている語彙や構文は私には難し過ぎ、
知らない単語が1ページに付き20個くらいあるし、
わからない単語を全部調べた後でも、Google translate の助けを借りないと
文章の意味がいまいち判然としなかったりするのだが
それでも彼のスタイル、内省的でややシニカルなものの見方、
微かなユーモアなど、読んでいて実に楽しく、単語調べも苦にならない。

残念ながら日本語訳はまだ出ていないようだが、
フランス語を読むのが億劫でなければ、
そしてこの手の、やや持って回ったような綿々と続く文章がお嫌いでなければ
この本はお薦めである。

ところで本題とは関係ないが、この本の最初の方に
暖かい南仏のトゥールーズからモントリオールに移住した主人公ポールの
ケベックの気候に対するコメントが述べられていて
それが常日頃わたしが感じているのと全く同じで、大笑いした。
彼は「À dire vrai, je ne me suis jamais habitué à l’hiver d’ici,
ni davantage à la brièveté des autres saisons.
(拙訳:本当のところ、私はここの冬にも、他の季節の短さにも、
どうしても慣れることができなかった)」と言っているのだが
ほんと、ここは冬ばかり長く厳しくて、他の季節が泣きたくなるほど短いのだ。
印象では、春と夏と秋が3週間ずつで、あとはずうううううううっと冬。
おかげで花の咲いて散るのが早いこと!
私はゆっくりと過ぎていく、日本の春と夏と秋が、少し懐かしい。

どうせならもっと人の役に立つ職業に就くがよろし

  • 2017/06/14 11:33
  • Category: 雑記
先週の水曜、いつものようにネットで調べ物をしていたら
突然、画面いっぱいに「あなたのコンピュータ内に、ゼウスウィルスが発見されました。
このウィルスはコンピュータ内のデータやソフトウェアを破壊する可能性があります。
コンピュータをシャットダウンしてはいけません。すぐに下記のマイクロソフト・サポートセンター
(通話料金無料)に電話してください」というポップアップが現れた。

「はあ?」と思って、一応そばにいた雪だるまに見せると
「電話しろというのだから、マイクロソフトに電話してみなさい」という。
英語で、あまりよくわからないコンピュータ用語を聞きながらやりとりするのはめんどくさいなあ
とは思ったが、PC内のデータがなくなったり、壊れたりするのも困るので
仕方がない、指示された番号に電話した。

すると、南アジアなまりの英語を話す若い男の人が応えて
「どうしました?」と聞くので、PC内にウィルスが発見されたというメッセージがポップアップした。
マイクロソフトのサポートセンターに電話しろというから電話したと言うと
「ではこちらからあなたのPCにアクセスし、問題を調査して解決法を探します。
アクセスするためにはあなたの許可が必要ですので、これからこちらが言う通りに
コンピュータを操作してください」と言って、ウィンドウズ・ロゴ+r から始まる一連の操作を
次々とこちらに指示してきた。

私は聞き取りにくい電話の声を聞きながら、わけもわからず相手の指示のまま
コンピュータを操作するという作業の面倒くささと、
コマンドの羅列で自分が一体何の操作をしているのか皆目わからないという、
目隠しされたまま迷路の中を引き回されているような心許なさに相当苛々し、
「こんな作業は英語ネイティブで、しかも私よりは余程コンピュータに詳しい雪だるまに
代わってやってもらいたいものだ」と思ったが、
生憎ちょうどお義父さんたちが「こんばんはー!」と訪ねて来て、
私に代わってPCの前に座ってもらうわけにもいかない。

そうこうする間にも、電話の相手はこちらを煙に巻くかのように画面にさまざまなタブを表示し
そのうちの一つはウィルスアタックの履歴で、それによると我が愛しのPCは昨日以来、
ほとんど分刻みでアタックを受けていて、そのあまりの数の多さにほとほとげんなりした私が
「つまり、PCショップとかでクリーニングしてもらわない限り、私はPCを使えないわけですね?」と言うと
電話の相手は、「いいえ、街のPCショップではだめです。この状況を解決できるのは、
公認のオンラインエンジニア(つまり彼だ)だけです」と言い切り、その料金を提示してきた。

それによると、クリーニング料金はUSD149.99、ついでに私のPCには全くアンチウィルスソフトが
インストールされていないので、仮にアンチウィルスのサポートを希望するなら、
1年USD180、2年でUSD210等々。(注:この辺の数字はうろ覚え)
そう言っては何だが、結構高額である。

なんだか胡散臭くなってきたなあと、それでも一応、お義父さんたちと歓談中の雪だるまにその表示を見せると
「スペルミスだらけのひどい英語だ。マイクロソフトがこんなひどい英語を出すはずがない」と言うので
私もこれ幸いと「そんなお金はありませんから」とサービスを断った。
すると相手は「では仕方がありません」と、にわかに今まで画面に表示していた様々なタブを次々と閉じ、
あっという間に過去20分間の痕跡をきれいさっぱり消して、真っ黒な画面だけ残して消えて行った。
残された私は、ただの黒い箱になってしまったPCを前に、声も出ず。

振り返ってコトの顛末を眺めてみれば、これは明らかにマイクロソフト・サポートを騙った詐欺である。
PC使用中に「ウィルス発見!」などとポップアップが出れば、みな一応ぎょっとするし、
マイクロソフトに電話しろと指示されれば、電話する人の方が多かろう。
(ネットで本当にマイクロソフトの番号かどうか確かめようにも、画面はフリーズしているのである)
まったくよくできた引っ掛けである。

それでも英語ネイティブなら、相手とのやり取りの中で、その話し方や言葉の使い方などから
「何だか怪しい」といった嗅覚が働くだろうが、いかんせん私は非ネイティブ。
表情、態度の見えない電話で、声と話し方だけで相手の資質を判断するのは相当難しいのだ。
おかげで最後まで引っ張られてしまった。
ケチな根性が幸いして金を払うところまではいかなかったが、PCを壊されたのは大損。

翌日私はお馴染みのジミー君のところへPCの修理を頼みに行ったが
彼もそれは詐欺だろうとの意見で、騙されて彼らにサービスを頼んだりすると
また別なウィルスを植え付けられ、カード情報や銀行情報など盗まれることになりかねないと言う。

まったく、生きていくためには金が必要で、金を稼ぐためには何らかの仕事に就かねばならないのはわかるが
コンピュータウィルス詐欺にしろ、振り込め詐欺にしろ、なにもわざわざ人を騙して金を取るような職業に就かなくとも
よさそうなものを。
人を騙せるだけの話術とコンピュータ技術があるのなら、もちっと人の役に立つ職業に就き給えよ、青年!


えー、というわけで、読者の皆様、今後同様の状況に遭遇されることがありましたら
間違っても偽の“マイクロソフト・サポートセンター”などにはお電話なさらず
信頼できるコンピュータショップにご相談ください。
ちなみに今回使われたウィルスの名前は“zeus virus”でした。

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らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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