Obsessive Compulsive Cleaners

  • 2017/03/02 11:19
  • Category: 雑記
1週間ブログをほったらかして何をしていたかというと、
掃除をしていたのである。
きっかけは、この番組。




[Obsessive Compulsive Cleaners]

その名の通り、登場するのは強迫神経症的に掃除をせずにはいられない人たち。
何しろ“神経症”なので、並みの「きれい好き」や「潔癖」とはケタが違う。
彼らはゴミがあってもなくても、上から下まで1日に何回も掃除機をかけ、
漂白剤、殺菌剤、除菌シートで家の中のあらゆるモノを拭きまくり
トイレは使用の度毎に(あるいは使用しなくても)磨き、除菌し、
細かい調度や器具は、歯ブラシ、綿棒、デンタルフロスを使って
どんな小さな汚れも逃さず取り除く。
調度品も同様。写真立てや置物はほんの少しの埃もなく磨かれ
常に定位置に置かれる。(置く位置は数ミリずれてもいけない)
カーテンの襞は完璧に等間隔、
ソファの上のクッション、ベッドの上のシャム、ピローも
きちんと整えられてシンメトリーに置かれる。
(へこんでつぶれたクッションなど、ありえない)
中には子どもがいたり、ペットがいたりする人もいるのに
彼らはたいていはミニマリストで、モノが少ないので
家の中は常にショールームのようにピカピカである。

一方、彼らと対極にあるのが、最近の日本語でいうところの「汚屋敷」の住人。
家族/ペットの有無にかかわらず、彼らの家はモノであふれ
モノがあふれると掃除がしづらくなるので汚れがたまり
汚れがたまるとますます掃除が億劫になるので、汚れは加速度的に増殖し
同時にゴミも溜まるので、そのうちゴミとモノの区別がつかなくなってむくむくと巨大化し
気が付いた時にはゴミとモノの混合体があらゆる空間を食い潰していて
自分ではどうしようもなくなっているというのが、おおよその図式である。

番組はこの2種類の両極端の人たちを主人公に
強迫神経症的掃除魔の人が、汚屋敷の住人のところに赴いて
その屋敷を片づけ、掃除し、何とか“ふつう”の状態にもっていこうとする過程を
レポートする一種のリアリティショーで、
そうすることによって、掃除魔の人は本当に1日に何時間も
掃除に費やす必要があるのか、自らの生活を再考し、
逆に汚屋敷の住人は、適度な清潔さは健康で快適な生活につながることを認識する
というのがその趣旨である。

ま、あくまでリアリティ“ショー”なので、面白くするために作っている部分、
誇張している部分は相当あるだろうし、
各エピソードにはさまれるお涙頂戴的部分は私の好みではないのだが
しかしこの番組を見ると、俄然、掃除意欲が湧くことは確か。
汚屋敷の住人の、真っ黒に汚れがこびり付いたレンジやトイレを見れば
ぞっとして、「ああなる前に、きれいにしよう」と思うし、
掃除魔の人たちの、それぞれ徹底的にこだわった掃除法を見れば
「ははあ、なるほど。ああやるのか!」と目から鱗、さっそく試してみたくなる。

そして、この「掃除意欲が湧く」というのはどうやら万人共通のようで
動画の下のコメント欄には、同様の書き込みがあちこちに見える。
「掃除をしなくちゃならないんだけど、動く気になれない時は、まずこの動画を見る」
と書いている人もあって、笑った。

ただひとつ気になるのは、掃除魔の人たちがものすごく大量に漂白剤を使っていること。
中には1週間で2、3本使うという人もいて、びっくりする。
ウチにも漂白剤はあるが、私はあの臭いが嫌いでたまーにしか使わないので
1本買うと2、3年は持つ。
まあカナダの場合、スーパーで普通に売ってるのが3.6リットル入りで
やたら大きいせいもあるが、仮に英国で普通に売られているのが半量の1.8リットル入り
だとしても、1週間で2、3本は使い過ぎ、身体にも環境にもよくないような気がするのだが・・・
それに何より、それだけ大量に使っても目も喉も痛くならないとは、
掃除魔の人たち、よほど塩素に耐性があるに違いない。

再度LとR

  • 2017/02/21 11:07
  • Category: 言葉
先日、仏作文の練習をしていて“タイトル”という語を綴る必要に迫られた。
「本のタイトル」とか、映画の字幕「サブタイトル」で、“タイトル”という語はおなじみ。
特に考えることもなく、“title”と綴ったのだが、LとRの違いにはからきし弱い私のこと。
ふと心配になって、一応辞書を当たってみた。

すると、なんと“title”という語は、仏語辞書にはない。
「そんな、馬鹿な!」と、今度は和仏で「タイトル」と当たってみると
綴りはなんと“titre”!

「えー、私は今の今まで“タイトル”は“title”だと思い込み、
過去40年以上そう綴ってきたが、あれは全部間違いだったのか?
きゃー、なんてぇこったい・・・」と、学生時代からお仕事時代にかけて作成し、
諸方面に提出したり、発送したりしてしまった数々の書類の中にちりばめられた
ミススペリングの数を思って、一度は「きゃー」と赤くなった顔が
次にはサーッと紙のように白くなる思いだったが
それにしても私の耳と頭は、40年以上勉強し続けてきたこの年になっても
いまだにLとRを区別できないのかと思って、つくづく情けなかった。
何しろ私はその少し前にも、“Link”と“Rink”を間違え、
“ゴルフリンク”の“リンク”は“Link”なものだから、
“スケートリンク”も“Skating Link”のような気がして、
そう綴って雪だるまに大笑いされていたのである。

だからこの時も、「またお馴染みの間違いをやらかしてしまった」と
LとRの混同自体には驚きはしなかったものの、間違えた語が
“タイトル”という超基本語であったので
「こんなのすら間違えて覚えていたとは、情けなさ過ぎて涙が出る・・・」と
つくづく自分に愛想が尽きる思いだった。

で、仏作文の添削に雪だるまのところに行ったとき
「さっき、“タイトル”でもLとRを間違えちゃったよ。
私、今の今まで“タイトル”はLだと思い込んでいたんだよねー」と愚痴ったら
雪だるま「titreはRだよ」と言った後で、「でも英語のtitleは、Lだけど」と付け足した。

私、愕然。
「え、じゃあ何かい、“タイトル”はフランス語ではRで、英語ではLなのか?」
と質したら、その通りだと言う。
(注:厳密には、titreは“ティトル”といった発音で、“タイトル”ではありませんが)

まったく、再度「なんてぇこったい!」である。
どうして、語源が同じ(どちらもラテン語の titulus から来ている)で、同じような意味を持つ単語が
フランス語ではRになって、英語ではLになっているのか?
まるでLとRを区別できない日本語話者を惑わすために
いつかの時点で、わざと綴りを変えたかのようである。

それでなくてもフランス語と英語には、carotte(仏)と carrot(英)とか
adresse(仏)と address(英)とか、recommander(仏)と recommend(英)とか
意味はほぼ同じで綴りだけ微妙に違う単語がごろごろし過ぎている。
それだけでも厄介なのに、その上さらに当方には区別できないLとRまで
入れ替えられている単語が存在するのでは、こちらはお手上げ、バンザイ、降参である。

ああ、誰か、LとRを聞き分ける機能が付いた補聴器でも
発明してはくれないものか。
ついでにスペイン語話者等向けには、BとVの識別機能、
中国語話者等向けにはDとT、BとPの識別機能を付ければ、売れるぞ、これは。



風呂

  • 2017/02/16 00:07
  • Category: 雑記
最近、時々某サイトに行っては眺めているのが、これ。


bathtub.jpg


いかにもな女性モデルがいるのが、画像としては少々邪魔なのだが
要するにこれは風呂桶。ポータブル・バスタブというやつである。
右上に見える電動ポンプがついていて、空気で膨らませて使う。
よって、使わない時は小さくしてしまっておける。

子ども用プールを小さくしてカバーと頭支えをつけたようなもので
デザインといい、作りといい、お値段(CAD100以下)といい
明らかに中国製で、「ほんとに、だいじょうぶかいな?」と思わないでもないのだが
ア〇ゾンなどのレビューを見ると、そこそこ使えるらしい。
カバーがついているので湯が冷めにくく、おまけにカバーの上に雑誌など置いて読書も可能。
ついでに飲み物ホルダー(モデルの右手側に見える穴がそれ)もついていて
便利至極だそうである。
したがって、デザインに目をつぶれば、極楽気分が味わえそう。

なんて書いていると、うちを知る方には、
「あれ、お宅にはバスタブがあるのでは?」と言われそうで
実際うちのトイレ兼洗面所兼浴室には、白くて四角い大きなバスタブが
浴室のまん真ん中に、でーんと鎮座ましましているのだが
このバスタブ、実のところ大きすぎて実用に適さない。
だいたい給湯タンクの容量より、バスタブの容積の方が大きいのだ。
満タンに湯を張ろうにも、7割方湯を満たしたところでタンクはすっかり空になり、
後はシャワーを使おうにも出てくるのは水ばかり。
次に湯が出てくるのは、いったいいつになることやらという始末では、
おちおち湯に浸かってもいられない。
バスタブに張った湯にしたところで、表面積が大きい分冷めるのも早いから
あっという間にぬるま湯になるだろうし、そうなると当地の湯船には
日本のような追炊き機能はないから、いったん入ったが最後
出るに出られず、肌寒いような湯の中で震えていなくてはならない。
極楽とは程遠い。

そこで、このポータブル・バスタブの登場である。
置くのは当然、役立たずの大型バスタブの中。
バスタブの中に設置すれば、湯を張るにも便利だし、排水も簡単。
こちらは暖かい湯にぽっちゃりと浸かって、ぬくぬくと読書や音楽を楽しみ、
くつろげるという寸法である。

まあ普段はシャワーで充分で、実際、旅行に行ったとき以外、
過去5年半、風呂には入っておらず、それで別段支障はないのだが
たまに古い日本映画などを見て、登場人物が銭湯でがやがやと喋っていたり、
旅先の薄暗い宿で、もうもうと湯煙の上がった湯船に浸かっていたりするのを見ると、
なんだか無性に懐かしくなって
「ああ、そういえば、お風呂ってものがあったねえ」と
俄然、たっぷりとした温かい湯に首まで浸かれたら気持ちがいいだろうなあ
と夢想してしまうのだ。

本当はビニールのポータブル湯船なんかではなくて

こんなのとか

bt 2


こんなのとか

bt 3


こんなのとかだったら

bm bath


もっと気持ちいいだろうなあ、とは思うのだが、
こんなゴーカなのは、夢のまた夢。ただ画像で見て楽しむだけである。

ちなみに一番下のは、ベット・ミドラーさんのマンハッタンのペントハウスの
バスルームだそうで、シンプルな作りに、檜(と思われる)の湯桶がすてきである。





しゃがむ

  • 2017/02/10 11:26
  • Category: 雑記
ところでラティ君が棲んでいる(と思われる)デッキ下だが、
実は去年の夏の終わりに、ジェリーと二人で潜り込んでみた。
夏に私を2回も刺した例のマルハナバチが、
まるでホーバーリングをするようにデッキの床付近を飛び回り
ついでスピードを落としてデッキの床板と床板の間の隙間から
すううっとデッキ下に入っていくので、
「これはこの下に巣があるのではないか」と、ジェリーと二人興味津々だったのである。

しかし、いくら興味津々でもハチが盛んに飛び回っている間は
危なくてそばに寄れないので
秋風が吹いてハチがいなくなったのを見定めてから
二人でデッキ下に潜り込んでみた。

ちなみにデッキの下部は清水の舞台のように吹きさらしというわけではなく、
トレリスのような斜め格子で覆われているのだが
横手の一部がドアのように開いて、中に入れるようになっている。
高さは155cmの私が、しゃがんで頭が付くか付かないかという程度。
両手、両膝をついた四つん這いの姿勢なら、体はどこにもぶつからないが、
いかんせん下が石混じりの砂利で手をつくと痛いので
私はしゃがんだ姿勢のまま、ちょっと頭を下げ気味にして、よちよちと前に進んだ。

そしてハチたちが盛んに下りて行ったデッキ右端の下あたりを
懐中電灯片手に、あちこちきょろきょろと覗きまわってみたのだが
ハチの巣らしきものは、影も形もなし。
落ちているのは、風で舞い込んだらしい枯れ葉と
鳥やリスたちが食べこぼしたヒマワリの種やピーナツの殻くらいで
床を支える柱に何かがくっついていた痕跡もなければ
地面に何かが作られていたような穴も、跡もなし。

床下に潜れば、スズメバチの巣のような大きな造形物が見つかるのではないか
と期待していた私とジェリーは、なーんにもなかったのでかなりがっかり。
「骨折り損だったな」と言い合ったのだが、その後、ふと真顔になったジェリーが
私を見て「それにしても、どうしてあんな格好で移動できるんだ?」と聞いた。

何のことだ?と聞き返すと、「さっき、しゃがんだ姿勢のままで前に進んでただろ?
しゃがむだけでもしんどいのに、その上、足を動かして移動するなんて
人間技とは思えん。少なくとも俺にはできない」と言う。
言われてみれば確かに、ジェリーは軍手をはめ、膝あてを付けて、
四つん這いの姿勢で床下を移動していた。
私より背が高く、しゃがんだだけでは頭がつっかえるから
四つん這いになっていたのだろうと思っていたが
彼が言うには、もちろんそれもあるが、たとえ頭がつっかえなかったとしても
彼にはしゃがんだ姿勢のまま足を動かして移動するなんて芸当はできない。
そもそも上手にしゃがめない。
映画や街の映像などで、アジア人たちが道端にしゃがみこんで“くつろいで”
いるのを見るのは、ほんとに驚きだ。
股関節の柔軟さが違うのか、膝と足首の動きが違うのか
理由はわからないが、とにかく俺たちにはあんな姿勢はできない。
むりやりしゃがんだりしたら、3秒と経たないうちに後ろにひっくり返るか
前につんのめるか、いずれにせよ、あの姿勢で“くつろぐ”なんてありえない。
と言って、ついでに実にぎこちない動きで、「しゃがめない」実演をして見せてくれた。
ジェリー以上に体の硬い雪だるまに至っては、はなから「無理」と言い切って
実演すら拒否。

私にしたところで、椅子の生活に慣れてしまって、
しゃがむ姿勢は楽とは言えないし、
ことに膝を付けた状態で、踵を床に付けてしゃがむことはもうできない。
(膝を開けば、踵を付けてしゃがめるが、あまり美しい姿勢とは言えない)
そういえば2、3日前に見た香港映画『阮玲玉』で、主演の張曼玉が
「駆け出しの頃は、よくこうやってしゃがんで、ずっと出番を待ってたわ」と
ほっそりした旗袍の裾をきれいにたくし込みながら
膝をそろえてしゃがんでみせたが、あれは彼女がヒールのある靴を
履いていたからできたことで、ぺたんこの布靴ではああはいかなかったろう。
ヤンキー座りだって、画像で見る限りみんな膝は開いているし
身体の柔軟さでは定評のある猫だって、座るときは膝、開いているものね。
(って、関係ないか。ハチの話が、なぜか猫で終わる)

ラティくん

  • 2017/02/06 11:09
  • Category: 動物
この冬、うちの庭の動物軍団に新しい仲間が加わった。
ネズミのラティ君である。
ラティというのは要するに ratty で、まんま rat なのだが
シマリス(チップモンク)がチッピーで、黒リスがブラッキーで、
茶リスがブラウニーなら、ネズミ(ラット)はラティでいいだろうと雪だるまが言うので
そういうことにした。

このネズミくん、ラティという名前の通り、毎年冬が近くなると家の中に入り込んでくる
ハツカネズミ(mouse/souris)の2~3倍、茶リスとほぼ同じくらいの大きさで
だから私は、ある雪の日の早朝、まだ薄暗いデッキの上をサササッと茶色いものが移動した時
茶リスが朝ご飯に来たのかと思ったのだが、走り去る後姿を見たら、しっぽが細長い。
茶リスならふさふさした太いしっぽのはずなので「あれ?」と思ったら、それがラティくんの初登場だった。

彼はどうやら、うちのデッキの下に巣を作ったらしく、
雪をかぶった生け垣を抜けてサササッとデッキの上に上がって来ては、
鳥たちが食べこぼしたピーナツやヒマワリの種を拾って食べ、
またサササッとデッキの下に戻っていく。
最初のうちは警戒していたのか、まだ薄暗い早朝か、
夕方、日が暮れてからしか来なかったのだが
誰も追い立てず、また猫や犬など彼を捕まえて取って食おうというものもいないとわかってからは
白昼堂々デッキに現れ、大胆にエサ漁りをするようになった。

(以下、ネズミの画像があります。この手の齧歯類が苦手の方は、どうぞ飛ばしてください)


最初に現れた頃のラティくん。早朝なので画像もぼんやり
(左上の白いものは雪、ラティくんの下はデッキに敷いてあるビニールシートです。
鳥たちが食べこぼすので、シートを敷いておかないと春の掃除が大変)


IMG_0916.jpg



しだいに慣れ、真昼間に登場。日向ぼっこ中か

IMG_0943.jpg


こうして見ると、しっぽが長い

IMG_0927.jpg


そして目が小さい

IMG_0947.jpg


今のところ、うちのデッキ下に棲んでいるのはラティ君1匹だけと思われるが、
何しろネズミのこと、そのうち家族連れで現れる可能性、無きにしも非ず。
そうなるとコトはちと面倒だし、いずれにせよ、ラティ君をうちの庭に置いておけるのは冬の間だけ。
春になって雪が融ける頃になったら、捕まえて森にでも放さなければならないとは思っている。
いくら可愛くても、ネズミはネズミ。はっと気が付いたら昔のケベック並みの大家族になっていて
うちの庭中、ネズミだらけ、というは、さすがにちょっと困るのだ。
ラティ君がカトリックの修道僧よろしく生涯独身を通し、デッキ下に引きこもって
禁欲生活を送るというなら、引き続き棲んでくれても構わないのだが
じいさんネズミならともかく、若い(と思われる)ラティ君にそんなことしろって言っても無理だろうなあ。


ひとごと

クリスマスから新年にかけてのお休み期間が終わり、
1月の第2週から、またお散歩が始まった。
雪道にも負けず、零下の気温にも負けず、
マダムたちはお散歩を続けている。

私も、話が聞き取れなかったり、言いたいことが言えなかったりで
楽しいことより、意気消沈することや自己嫌悪に陥って「ばかばかばか・・・!」と
自身を罵りながら帰ってくることの方がずっと多いのだが
ここで止めるわけにはいかないので、重い足を引きずって
相変わらず週2回、出かけている。
ほんとは週3回あるのだが、3回通うだけの気力は、私にはない。
自己嫌悪にまみれ意気消沈するのは、週2回で充分だ。

で、お散歩会へは月曜と水曜に出かけることにしているのだが
今週の月曜は、例のケベック市での銃乱射事件の翌日。
私はてっきり、お散歩会はその話題で持ちきりだろうと思っていたのだが
豈図らんや、事件の話はちらりと出ただけ。
メンバーのうち一人は、その週ケベック市に出かけており
週末も市内に滞在していたにもかかわらず
話に出たのは、天気が非常によくて、外を歩いていてもあまり寒くなかったこと、
おかげで楽しく買い物や観光ができたこと、
食事をしたレストランが美味しかったこと、等々だけだった。

不思議だったので、一応「ケベックでは事件があったのでは?」と
話を振ってみたのだが、もう一人のマダムともども、もちろん事件のことは知っていたが、
さほど関心があるとは思えない様子で、「昨夜からずっとそのニュースばかり。
メディアはちょっと大騒ぎし過ぎだと」といった意味のことを言って
他の話題に移って行ってしまった。

これはもちろん、小学校低学年よりまだひどい私のフランス語力で聞き取れた範囲の話であるから
ものすごく誤解している可能性もあるのだが、しかし話の細部はわからなくても
何について話しているかくらいの見当はつくし、
言葉の調子や話すときの態度、表情で、関心があるのかないのか
くらいはわかるから、「関心なさそう」と感じた私の印象が大間違いである可能性は
まあ50%以下で、当たっている可能性の方が高いと思う。

リタイア後の悠々自適の奥様方の、社会的事件に対する関心度なんて
その程度でしょう、と思われるかもしれないが、
隣国でトランプ氏が当選した時には、メンバーたちはあれこれ言い合って
結構大騒ぎだったのである。
普段話していることを聞いていても、みなリタイア前は何らかの職業に就いて働き、
かつボランティア活動などもしていたような人たちで
政治や社会には全く関心がないという人たちではない。

それなのに、ケベック市での事件に対しては通り一遍の関心しか示さないというのは
これはやはり、移民ではない、生まれた時からのケベッコワーズにとっては
オルタナ右翼の青年が、モスクで銃を乱射し、モスレムたちを殺した
という今回の事件は、どう見ても他人事、自分たちには起こりそうもないこと
としか思えないからだろうか。

乱射した青年はケベッコワだが、報道によれば、彼はジョージ・W・ブッシュ氏やトランプ氏、
仏のマリーヌ・ル・ペン氏等を信奉し、外国人排斥、反移民、白人至上主義、
反フェミニズムなどに同調する反動的保守主義者とのことで、
どうみても「普通の学生」、自分たちの周りにいる甥っ子たちや孫たちと
同じ人間とは思えない。
そして乱射された側、被害者たちはと言えば、移民で、モスレムという異教徒で
女たちは、ここカナダに来てさえ、頭にスカーフをかぶり、夏でも長袖長ズボン/スカートという
周囲から浮きまくりの服装を変えず、これまた自分たちと同じ人間とは思えない。関係もない。

自分とは異なる人間が、自分とは関係ない人間を殺したとなれば
これは「他人事」。関心が薄いのも、道理と言えば道理だ。
モスレムではないけれど移民ではある私とは、感じ方が違うのも無理はないのかもしれない。


Pack rat

  • 2017/01/30 11:59
  • Category: 雑記
しばらく前から世の中は断捨離流行りで、
人々は捨てること、モノを持たないことに熱心になっているようだが、
私は逆にこちらに来てから、モノを溜め込むようになった。
一見、ゴミとしか思えないような反故でも古布でも
壊れた道具でも、とりあえず捨てずに取っておく。
衣類ならなおさら。たぶんもう二度と袖を通すことはないと思っても
着用可能なものは、後生大事に箪笥に眠らせておく。
理由は簡単。反故や古布はメモや掃除などで使い道があるし
洋服に至っては、処分したが最後、同じようなものを手に入れるのは
相当に困難とわかっているからである。

「相当に困難」というのはつまり、退職して収入ゼロの身だから
いったん捨ててしまった後で、何らかの理由で再度そのモノが必要になったとしても
再び同じものを購入できるだけの資金力がない、
というのもあるが、それだけではない。
「入手可能性」の問題も無視できないくらい大きいのだ。
この田舎では、私が気軽に行ける範囲にある店の数には限りがあり、
その中で、Tシャツなどのカジュアルなものはともかく
ジャケット、スーツなどで気に入ったものが見つかる可能性はかなり低い。

かてて加えてサイズの問題もある。
肩幅の割に腕の短い私は、アジア人サイズの日本や香港でさえ
こうした衣類にはお直しが必要だった。
況や北米人サイズの当地に於いてをや。
袖丈その他、直さずに着られるジャケットなどあろうはずがない。
となると、何らかの理由でこうした衣類が必要になった場合、
たとえあちこちさんざん探し回って気に入ったものが見つかったとしても
それからさらに、どこかのクチュリエに持って行って
身体に合うように直してもらわなければならない。
服そのものの上代に加え、安くもないお直し料+探し回ったり、
クチュリエに持って行ったりする手間暇を考えると
これはもう、場所塞ぎでも、資源の無駄でも
万一のためには「取っておいた方がよほど簡単・・・」となるのである。

だからわたしのクロゼットには過去5年間一度も手を通していない
お仕事時代のスーツやジャケットがいまだにぶらさがり
これらの衣類のお供をしていたヒールのある靴やサンダルなどが
その下に並んで、出番のないまま永の眠りについている。
今後も、かなり改まった形式の葬式でもない限り
こうした衣類を着なければならない機会はないだろうが
私としては処分するつもりはない。
この家を売り、老人用アパートにでも引っ越すことになったら
その時はどこかの団体に寄付するかもしれないが
それまではこの机の隣のクロゼットで、静かに眠っていてもらうつもりである。

そして捨てずに取ってあるのは衣類だけではないから
階下の戸棚の中では、同様に柄の取れた鍋やヒビの入ったティーポット、
チョコが入っていた空き箱などが眠り、物置の中では発泡スチロールの梱包材や
内装の残りの板切れなどが眠っている。
ぱっと見、ゴミとしか見えないし、実際、何かに使わない限りはゴミなのだが
私としては捨てるつもりはない。しまう場所がある限り、しまって取っておく。
いつか何かの役に立つかもしれないから。

もっとも、モノを捨てないことに熱心とは言っても
この家を汚屋敷にするつもりはないし、
もともと視覚的過負荷には耐えられない人間なので
整理整頓はせっせとやっている。
幸い、子どもの頃から、掃除には不熱心でもお片付けは得意なのだ。
よって溜め込みを続けても、ご近所から市役所に苦情が行き、
強制清掃という事態には、(たぶん)ならないだろうと思う。
私は pack rat は pack rat でも、こんまり系の pack rat なのだ。


溜め込み上手の pack rat くん

packrat.jpeg

精緻な仕事は美しい

物事は面倒くさいより簡便な方がよい。
機械でも家電でも、あるいはまた人間関係でも
あれこれ入り組んで複雑怪奇なのより、
すっきり簡単、シンプルな方が
使いやすくて、あるいは気楽で、ストレスが少なくてよろしい。
簡単、簡便、大いに結構!
開発者殿、なるべく楽ちんなのを作ってね!
てなもんだが、しかし、何から何まで、面倒<楽ちんであるかというと
そういうわけのものでもない。

たとえば、手仕事系。
最近、アマ〇ンとかで手芸本コーナーを見ていると
「かんたん」とか「やさしい」とか、「誰でもできる」とかが
タイトルに入った本がやたら目につくが
そして、それらの表紙にはいかにも簡単にできそうな
しかしそこそこかわいらしい小物などが配されているが
みんなそんなに“簡単”な手芸が好きなのだろうか?

そりゃ今まで針も糸も手にしたことのない、全くの初心者が
そうした本を手に取るのはわかる。
表編みも裏編みもわからない人が、最初の作品として
複雑なアラン模様が全面に入ったセーターを編もうとするのは
些か無謀というものだし、
ステムステッチも満足に刺せない人が、さまざまな技法を駆使する
クルーエル刺しゅうやスタンプワークに一足飛びに挑戦!するのも
ま、ちょっと無理がある。
だから、手始め、手ほどき、最初の取っかかり用として
そういう本に需要があるのはわかるのだが
手軽に手に入るのがそういう本ばかりになってしまっては、面白くない。

人間、ひとつのことを繰り返しやっていれば
(ふつうは)だんだん上手になる。手慣れてくる。
そしてそのうち同じことの繰り返しに飽きてきて
違うこと、新しいこと、ちょっと手の込んだことがしてみたくなる。
“簡単”が喜ばしいのは最初のうちだけ。
その段階を過ぎてしまえば、“簡単”は“退屈”と同義である。
“退屈”な手仕事など、誰がやりたいものか。

それに、簡単なものばかり作っていては、技術が進歩しない。
効率的に同じ結果を得るために、より簡便な方法を考案するのは
技術の進歩に貢献するだろうが、
楽をすることを目的に、手順を省くのは単なる手抜き。
結果は同じにはならない。
手仕事の場合、ひと手間かけるのと、ひと手間省くのとでは
出来上がりが明らかに違うのだ。
チープな仕事は、チープな結果しか生まない。

と、まあ、さんざん偉そうに書いたが、
人間、意気込みが結果と正比例しないことは、ままある。
私など、高すぎる目標に技術が追い付かず、あえなく撃沈・・・は、しょっちゅうだ。
それでもやっぱり、簡単すぎることはつまらない。
技術のなさを「手作りの味」などと胡麻化すのも嫌いだ。
感性が勝負の芸術系はともかく、
技術系には「下手うま」は存在しないと思う。
身も蓋もない言い方だが、下手なものは単に下手なだけ。
そこに味などない。
(作り手に対し特別な感情があったりすると、そこにありもしない味が
感じられることがあるかもしれないが、それは作り手に対する感情が
見せる幻影である。第三者の目には、その幻影は見えない。
が、見えないからと言って、そのモノの価値が当事者にとっても下がることは
意味しない。作り手に対する感情がある限り、モノの価値は不動である。
例:彼女が僕のために編んでくれたマフラー)

現代の、時間に追われる生活の中では、
面倒なもの、手間のかかるものは自然億劫になり、
手仕事にせよ、文学にせよ、音楽にせよ、
より簡単なもの、わかりやすいものへと嗜好が向かうのは
仕方のないことなのかもしれないが、
私は精緻な仕事の方が好きだ。
そこに至るまでの研鑽、かけられた年月、情熱を思うと
素直に頭が下がるし、確かな技術は明らかに美しい。


secret-garden-MC.jpg

画像は、Mary Corbet さんの The Secret Garden

米朝さん

  • 2017/01/16 12:00
  • Category: 雑記
このブログの左上に「私を幸せにしてくれる方々」として、
小さん、三代目金馬、枝雀の3人の落語家さんを挙げているが
最近これに米朝さんが加わった。
なんたって、この方のやわらかな上方弁で語られる落語を聞いていると、
すいすいと編み物が進み、大変に具合がいいのだ。
これが、そう言っては何だが、下手な落語家さんや
こちらの神経に障る話し方、声の落語家さんでは
いらいらして目数を間違えたり、編まなくてもいいところまで編んでしまったりして
被害甚大、ということになるので、
編み物のBGM選びには、細心の注意が必要なのである。

米朝さんの落語の何がいいのか、つらつら考えてみると
まずこの方の落語には過剰なところがない。
一部の若手落語家さんのように、むやみに大声を上げたり、
過度に色を付けた口調で語ることもないし、
大仰な身振りも、受け狙いのギャグもない。
だから地味といえば地味なのかもしれないが
その代り、いつでも、どんな噺でも、勘どころを押さえて、丁寧に語る。
その風貌と相まって、実に端正、上品であるが
しかし、きっちりし過ぎて窮屈、といったところは微塵もない。
ほどよく力の抜けた、余裕のある語り口は、
十ある力を十出し切ったような、目いっぱいの力演と違い
聞くこちらの方も、ゆったりとした気分にしてくれる。

それに米朝さんの落語には、ハズレがない。
何しろ暇なもので、YouTu〇e にアップされているのはほとんど全部聞いたが
「これはちょっとな」というのがひとつもない。
艶笑噺ですら、ほんのりと上品である。
これは人柄の故か、それとも芸か。

そのくらいだから、小さんさんの「首提灯」や金馬さんの「池田大助」
枝雀さんの「貧乏神」と「口入屋」のように
「米朝さんだったら、これ!」というようなお気に入りの噺というのは特にないが
しかし最近聞いた狐の小咄は、別格的に気に入った。
あんまり気に入ったので、米朝さんが語るそのままを
文章に起こしてみたのだが、これが全然おもしろくない。
上方弁は正確に表記しづらいという問題もあるが
それより何より、語りをそのまま文にしたものは、単なるあらすじに過ぎず
骨組みを素描しただけといった体で、味もそっけもないのだ。
人が(米朝さんが)語って初めて、何とも言えないおかしみが出るのだと
つくづく思い知った。

ご興味がおありの方は、こちらからどうぞ。3:30くらいから始まります。


ペン

  • 2017/01/12 00:50
  • Category: 雑記
2、3年前にまとめ買いしたコレトの替芯が最後の1本になったので、
また台湾の業者に注文を出した。
ただし今度はコレトではなく、パイロットはパイロットでもハイテックC。
05年発売の比較的新しいモデル(それでもすでに10年経っているが)から
94年発売の古~いモデルに戻ったわけだ。

理由は簡単。コレトのコスパが悪すぎるからだ。
コレトは書きやすいし、いろんな色があって楽しいのだが
何しろ持たない。
1本の芯にどのくらいのインクが入っているのか知らないが
毎日2行程度しか書かない日々のメモに使って、1か月しか持たない。
学生さんの中には、1本を1日で使い切ってしまう方もいるようで
「1日100円は痛い!」と悲鳴を上げていらした。
確かに毎日の講義でせっせとノートを取っていれば、そうなるだろう。
私のメモで1か月。2行×30日=60行しか書けないのだから。
この「持たない」感は万人共通のようで、コレトのレビューの中には
「大量に書く人にコレトの芯は全く向きません。
ボールペンの中でもトップクラスのインクの量の少なさです」というのがあって
大いに笑った。

一方、ハイテックCの方は、かなり長く書ける。
今新品が手元にないので、「××行書ける」というデータを示すことはできないが
過去の記憶をたぐって考えると、少なくともコレトの2~3倍は書けそうな気がする。
それに、このハイテックC、日本のパイロットさんのサイトでは
「替え芯はご用意しておりません」となっているが
香港、台湾などでは、替え芯を売っている。
黒、青、赤、たまに深藍(ブルーブラック)くらいと色数は少ないが
ちゃんと売っている。だから eBay にも出ている。
値段は、替え芯6本で7.5米ドル(送料込み)くらいから。
つまり1本あたりの単価は約1.25米ドルと、
コレトの替え芯の値段と、ほとんど変わらない。
値段がほぼ同じで、持ちが2~3倍なら、これはハイテックCを買うしかないではないか。

それに1本約1.25米ドルというのは、ゲルインクボールペンの値段としては
破格に安い。
実のところハイテックCは、「G-Tec-C」の名で当地でも売られているが、
お値段 3~5カナダドル。
しかもバラ売りでは黒、青、赤の基本色しかなく、他の色が欲しければ
5色とか10色とかのセットで購入するしかない。
ブルーブラックだけ10本とか、茶色だけ5本とかの買い方はできないのである。
基本色以外の色が好きな私にとっては、大いに不便な仕組みである。

色といえば、ハイテックCは昔、「和色」とでもいうのか、
ちょっとくすんだような微妙な色合いのカラーペンを、
「うすずみ」「さくら」「べんがら」などの美しい名前で出していて
私はただもうその名前と色合いにうっとりして、
何に使うという当てもないのに、伊東屋でわさわさ買い込んだりしたが、
どうも当地にはそうした大人がうっとり手に取るような文房具がない。
いや、都会のセレクトショップなどに行けばあるのかもしれないが
少なくともこの田舎にはない。
財布にはやさしいが、文房具屋に行って、きらきらと胸ときめくことがないのは
さみしいことである。



Pagination

Utility

プロフィール

らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

カテゴリー+月別アーカイブ

 

FC2カウンター